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2025年5月10日 (土)

鹿児島へ

連休中に家族が風邪をひいたので、
特に予定もなかった私はひたすらに仕事を進めました。
今、メインになりつつある仕事がとてもやり甲斐があって、
楽しくて仕方ないのです♪この幸せが続くといいな……なんて。

そんな夢見るおいどんですが、今バイクより車にドはまりしてます。
世の中にこんなにも楽しい乗り物があったとは!
上京したての20代の自分は貧乏で、もっぱら公共交通機関に頼りっぱなし。
駐車場代がかからないバイク(当時、知人から譲ってもらったカワサキ
GPX750R)はあくまでも趣味として所有しておったのです。
それも2,3年で車検代が支払えず足元見られて二束三文で売却。今でも悔しい思い出。

その後、ホンダフリーウェイⅡ型に乗り換えて日常の足として大活躍。

――が、50歳を過ぎ、福岡から東京のわが家の近所へ呼び寄せた
父の介護にあたり、やはりバイクより乗り降りが楽で、積載性能や
安全性の高い車でないとイカンと思い立ち、
清水寺の舞台からダイビングした結果、軽自動車を購入。
。。。今にして思えば正解でした。

高齢の父の病院送迎、買い出しの補助、悪天候時の家族の送り迎えなど。
スズキ ワゴンR 660FX 2010年式中古(クロウサ号)が
スズキ バーグマン200 2022年式新車(ステラ号)に引けを取らぬ活躍。
気付けば軽自動車ばかり乗ってる始末。(すまぬステラ号よ)

来週、父と共に飛行機で鹿児島へ中島家のお墓参りに行ってきます。
母の改葬は諸々複雑な理由で今回見送ることになりました。
鹿児島の親戚との再会も父は喜んでくれるはず。

2025年5月 7日 (水)

作業BGMのお話

今回は音楽遍歴のお話です。遡ること47年前、
私が小六の時、夢中になったビル・コンティ(ロッキー♪)や
ラロ・シフリン(ジェットローラーコースター、燃えよドラゴン最高)、
エンニオ・モリコーネ(オルカ、ゴッドファーザー、グッジョブ)
などの映画音楽。

中学生で出会ったビリー・ジョエルの楽曲(アルバムコンプ◎最高)は、
今でも元気を与えてくれるし、高校生でパンクに目覚めさせてくれた
ザ・クラッシュ(アルバムコンプ◎最高)やセックス・ピストルズも
今でも創作力の源になってくれてます。
今はアニメ物語シリーズ、マクロスシリーズの
歌謡にお世話になっています。めちゃ良き♪

2025年3月19日 (水)

長女の卒業式

今日は長女の中学校、卒業式。
――だったんですけど、朝方まさかの悪天候!
みぞれ混じりの雪で足元悪く大変でした。

4月からは高校生としての新しい生活が始まります。
夢に向かって頑張って欲しいものです。

ひとつの出会いが自分の生涯を左右するほど
重要な意味をなすことを常に意識して人に接するよう、
言葉を贈ります。父はその出会いのおかげで今があります。
いつも感謝の心を忘れずにね。

2024年7月15日 (月)

感謝感謝♪

僕は小学5年生の時に母を病気で亡くし、以後、団地の中で親なしと
白い目で見られた過酷な時期がありました。
僕は弟に美味しいものを食べさせたくて
亡き母が残した料理のレシピ本を参考に八宝菜や酢豚、
ハンバーグなどをクック・ドゥなしの原材料で調理しました。

やがて団地棟内で何か物がなくなると僕たち家族に嫌疑の目が向けられた。
あの昭和独特の理不尽な世間の仕打ちに耐えて耐えて……。
今でも悔しいけど、その時思った。

自身の潔白を晴らすには社会に貢献すべきと。
片親の子供が必ずしも道を踏み外すとは限りませんよ。
今現在、父の介護をしながら昔を回想するのでありました。
当時を振り返ると本当に悔しい。でも、今の僕は……
たくさんの味方を得て幸せです。ありがとう♪

2024年3月20日 (水)

繁忙期、自分との戦い

外出せずに机に向かって10日経ちました。
その間、ただひたすらに家に籠もって仕事をしています。
娯楽も何も無し。これがとある漫画家の現実です。

でも、それを乗り越えなければ未来はありません。
仕事中は過去の自分と向き合う時間もあります。
漫画家として鳴かず飛ばずのアルバイト三昧。それでも夢を諦めなかった
若い頃を思えば、仕事を頂けている分、幸せだと思わないと
バチが下りますよね。

2024年3月 8日 (金)

追悼

1990年代前半、新人の私が月刊少年ジャンプで読切のラグビー漫画を描いていた頃のことです。
集英社の授賞式パーティーに招待されて、憧れの漫画家の先生方とお会いする
絶好の機会に恵まれたことがありました。当時の連載陣は言わずもがな、
中でも印象深かったのが本宮ひろ志先生、荒木飛呂彦先生、オーラが物凄かったことを
昨日のことのように覚えています。

とても幸せな時間を過ごしてほろ酔い気分になっていると、会場の空気が一変する
出来事が……なんと、鳥山明先生が半ばお忍びでパーティーにお越しになったのです。
あとで聞いた話によると先生は愛知在住でしかも当時、ドラゴンボール全盛で
多忙な時期なので、上京自体が大変稀有であったとのこと(あくまで当時の見聞です)。
声をお掛けする距離まで近づけたものの、感動のあまりただただ立ち尽くしていました。

あれから三十余年、日本の漫画界に偉大な足跡を残して鳥山先生は旅立たれました。
今はただ、心からご冥福をお祈りするばかりです。

2024年3月 4日 (月)

心ない一言に涙することも

自分の弱さを否定せず事実を受け入れることはとても大切なことです。
その上で前へ進む胆力と何事にも動じない意志の強さ。
この歳になって気付かされる事のなんと多いことでしょうか。

心ない一言をはねのける程の経験を自分は経てきたはずです。
でも、ギリギリの精神状態でそれを食らってしまうとそれは
致命傷になることも今回の件で痛感しました。
長年積み上げてきた信頼は一瞬にして灰燼に帰すこともあるでしょう。

それでも家族のため、自分を支えてくれた人のために
己のやるべき事をやるだけです。……話をして少し楽になりました。
漫画家は基本孤独ですが、寄り添ってくれる編集さんが他にいてくれる
自分はまだ幸せに思います。

2024年3月 3日 (日)

2024年の出張授業in福岡

02 01

今年2月に母校の出張授業に赴いてひと月が経ちました。

大原小の諸先生方、あらためて御礼申し上げます。ありがとうございました!

実は今は亡き私の祖父が鹿児島で校長先生をやっていたこともあって、

早くから教職を目指していた時期もありましたが、こうして別の形で

教壇に立つことができたのも祖父の導きによるものと思えば、感慨深いものがありますね。

長らく稼業を続けていれば辛い思いをすることもあるけれど、この出張授業で後輩たちから

もらった元気のおかげで艱難辛苦を乗り越えることができています。

ご依頼の続く限りその期待に応えていくこともまた、

漫画家としてのやりがいであると痛感します。

子どもたちの思い出の中に私がいてくれたらどんなにうれしいでしょう。

だから、生ある限り自らペンを折るようなことはしません。絶対に。

2023年12月26日 (火)

穏やかな時間

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長女のイラストが学年で配布される校外学習の旅のしおりのイラストに採用されました。

2023年10月11日 (水)

呟きをやめた先にあるもの

時代は大きく変わりつつあります。

自分にできる事で世間様に貢献できれば漫画家冥利に尽きます。

これ以上、世界に戦禍が広がることのないよう心から願います。

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